2021年03月

白雪姫、眠りの森の美女の王子はセクハラか?

どうもさくです。

大阪大学の牟田和恵教授が疑問提起をしている、白雪姫問題が話題になっている。

曰く、毒リンゴを食べて眠ってしまった白雪姫をキスで起こす王子はセクハラなのではないか、という問題提起。

牟田教授の意図がどこにあるのか正確にはわかりませんが、フェミニズムの観点からこうした童話などにも、知らず知らずのうちに女性差別の意識が植え付けられているということが言いたいのではないかと思います。

こうした表現についての難しいところ

さくは、白雪姫がセクハラかどうかを論ずるつもりはないです。仮に、東京の電車で同じことをした場合、セクハラというか犯罪になることは理解しています。それが、童話からも排除すべきかどうかは判断の分かれるところでしょう。

一方で、難しいと考えてしまうのは、少女漫画の壁ドンやいわゆるわがまま王子様キャラは、フェミニズム的にはどうなのか知りたいところです。

シンプルに、男女平等を貫くという意味では、こうした表現は、男性の性暴力を容認するような表現であり許容できないということになるでしょう。

一方で、性の自己決定の立場をとる場合、女性漫画家が書き、女性読者が喜ぶような表現は受容すべきであるという立場にもなるでしょう。

どちらになるのでしょうか。

フェミニストの立ち位置

多くのフェミニストたちの意見を見聞きすると、難しいところを感じる。

それは、フェミニストの目指すべき終着点がどこかというところにある。

一つは、機会平等。もう一つは、結果平等。そして、最後が女性優遇。にあるように思う。

機会平等とは、そもそも、教育を受ける機会や雇用の機会、育児、家事の分担の公平性を男女で同じにすること。そして、多くの男性が、ここをフェミニストが目指す男女平等だと勘違いしているように思う。

しかし、多くのフェミニストは、結果平等や女性優遇を目指しているのではないかと思う。

その論理は、同じ権利を有している以上、結果が平等であるべきだという意見。これは、フランスなどで見られる考え方で、議員候補の男女比などを定めたクオータ制などに見られる。特に、市議会議員の男女比や民間企業の取締役の男女比など厳しい制限がみられるのがフランスという国だ。

最後が、女性はそもそも弱い立場にあるから、優遇すべきだという論点もある。この場合、どこがゴールというのは難しいけれども、とにかく今よりももっと女性優遇すべきだという論調になりやすい考え方だ。

おそらく日本も結果平等が求められるようになる。

日本のジェンダーギャップ指数は、121位である。これは153か国中。もちろん、G7で断トツの最下位であり、日本が男女差別の国であるという事実は受け止めなければならない。

国際社会から見たときに、日本人男性は平均的に差別主義者であるということは、否定することができない。

とすると、未来を予測することは逆に簡単になる。日本は、少なくとも今よりも男女平等になる。そして、そのゴールは少なくとも機会平等は満たされる。それどころか、結果平等も今後10年で急速に広がっていき、格差が縮小する方向に動くだろう。

まとめ

どうも日本では、男女平等のスタンスが世界と離れているように思います。それが、良いかどうか、望ましいかどうかは、さくとしては興味の範囲外です。しかし、世界の潮流である男女間の結果平等につなげようとする圧力はかかり続けるだろう。

この時、議員の半分は女性になるし、会社役員の半分は女性になる。給与所得も、男女でほぼ同じになるであろう。(今も同じ役職ならば近い給与水準だとか思った方は、機会平等と結果平等の違いを理解していないかもしれない。)

10年では日本は変わらないと思うかもしれない。しかし、全体的な方向性はもう決まってしまっています。これからは、弱い男性は生き残れない時代になっていきます。

フェミニストが、その他のマイノリティについてあまり言及しないのは、当事者が権利を主張することが重要だと考えているからだと聞いたことがある。つまり、正義としての平等を目指しているのではなく、それぞれ権利を主張すべき人が、それぞれの権利を主張することが、良い社会を作るというような意味合いなのだろう。この場合、これからの世界の流れからすると、弱い男性は守られない存在になってしまう。

これからは、弱い男性の持つ本来の権利を主張していかなければならない時代になったのだと思います。

ではでは。








電気代急騰をしたからと言って、価格変動契約を減らしたら意味ない

どうもさくです。

この冬は例年に比べて寒い時期が続いたことや、テレワークなどで自宅にいる時間が長い人が増えたことなどにより、電気の需要が一時的に増大しました。

結果として、一部の電気代を変動価格で販売しているような新電力(東京電力や中部電力などの昔からある電力会社以外)から電気を購入している家庭や企業の電気代が高騰しました。

そもそも電力市場の価格は突然高騰しやすい

そもそも、電力卸売り市場ができてから、こうした電力市場の特性である突然の高騰「スパイク」という現象がおきることは専門家の間では良く知られていました。

理由は簡単で、市場価格というのは需要と供給できまるからです。この場合、電力というのは需要が暑さ寒さなどで弾力的に変化します。例えば、5月6月と比べると、8月や12月には2倍や3倍になる家庭も多いと思います。つまり、季節や天候により電気需要はかなり変化するのです。

一方で、供給はある一定程度までは弾力的なのですが、一定以上は増やせないという特性を持っています。これは、電気需要が増えると水力発電の水を放出したり、火力発電を増やすなどの対応をすのですが、設備の最大供給量以上には増やせないということです。

このため、需要と供給がある程度一致するところまでは価格はほぼ変わらないのですが、一定以上の需要を超えると価格がスパイクしてしまうということになります。

つまり、需要が価格によって減るか、供給が増えれば良いのですが、電力の場合、(特に供給に限界があるため)うまくいかないことがあります。

だからこそ市場価格を導入したのですが

電力には他の市場と違い、価格がスパイクする特性があるので、市場価格を導入したいのです。

なぜか、価格が高くなった時に、需要を減らしたいからです。

今まで、大手電力が電力供給を独占していた時代は、電力価格はほぼ一定の契約がほとんどでした。この場合、電力需要は、それぞれの都合で自由に決まることになります。一方で、電力会社はいざという時のために、電力不足に陥らないように過剰な電力生産設備を作ろうとしてしまいます。

この余剰供給設備は、数年や数十年に一回しか使われないような設備となってしまいます。このため、旧電力会社は非常にコストが高いという弱点を持っていました。

こうした、余剰供給設備をなるべく少なくするために生まれたのが、電力市場です。

つまり、供給側は価格が高くなったらフル稼働できるように、一方で、需要側は価格が高くなったら稼働を減らすようにした方が、社会全体としては効率的なのです。


まとめ

今回の、電力価格高騰で、変動契約を減らすような論調が増えていることがさくは気になります。

電力はライフラインなので安定供給が必要なのはわかりますが、それでも非効率的な運営は望ましくないとも思っています。そのためには、市場価格、変動価格というのは必要な制度です。

今回は、電力需要を押し下げるような仕組みがなかったことが問題なのかもしれません。もっと、変動価格が広まっていて、かつ、需要量が目に見えていれば、電力が高騰する量も減らせたかもしれません。

ちなみに、さくは水道事業の自由化は反対です。理由は、市場を導入するメリットがないからです。

皆さんはどうお考えでしょうか。

ではでは。


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NHK武田・有馬さん移動と働き方改革

どうもさくです。

NHKの人事が世間を騒がせていますね。

NHK人気アナウンサーであった、武田真一さんと夜のニュースの顔であったキャスター有馬嘉男さんの降板が決まった。ともに50代である。

この二人は、自民党菅氏や二階氏から怒りを買ったのではないかと噂されている。噂の真相やNHKの「忖度」など、さくとしてはどちらでも良いし、政権からの中立性は重要な論点ではあるが、今回はどうでも良いと思う。

たださくとしては、50代男性がメインから降板させられること、特に転居を伴う異動があり得るということと、NHKの立ち位置について、違和感を感じざるを得ないです。

あれ、NHKさん、働き方改革はどこへ?

さくが気になるのは、50代で人気アナウンサー、キャスターであった人物を、事例一枚で(転居を伴う)異動をさせられるという体制についてだ。

もちろん、個別に希望や家族構成があるので、あくまでも推論にすぎませんが、報道ベースであれば本人の希望ではない異動である可能性が高いと思います。

こういう、いつでも地方に飛ばせる人事体系というのは、NHKは家族支援や働き方に対してどのように考えているか問いただしたいです。


NHKの働き方改革宣言は嘘なのか

NHKは、平成29年に会長の名のもとに働き方改革宣言をしています。

その中には、ワーク・ライフバランスの充実により人間力を高めますと、たからかに謳っている文章が見えます。

さて、今回の突然の異動(転居を伴う)は、働き方改革の中で望ましいものなのでしょうか。

まとめ

さくは、日本の会社の雇用形態の悪しき習慣として、辞令一枚で人を異動させることができる点が気になっています。

もちろん、今回の人事は本人に希望であったり、なんらかの経営的な英断だったり、もしくは、両人がなんらかの不祥事を起こした懲罰だったのかもしれません。真相はわかりません。

ただ、さくの目には、結果だけを見ると、なんだか紙切れ一枚で地方に飛ばすことができる組織体制がNHKに旧態依然として残っているように見えてしまいます。働き方改革はどこにいったのでしょうか。

そんなことを思いました。

ではでは。


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東京で子育て、40代だと年収740万円必要

どうもさくです。

昨年の12月16日に、東京地評(東京地方労働組合評議会)が、東京子育て世代の生活費試算を公表した。

この試算によると、税金・社会保障税込みで、30代は650万円、40代は740万円、50代は960万円の年収が必要であるとの結果になった。

納得感のある試算になっている。

この生活費の試算は、練馬区在住で子供2人がいるという計算になっている。

中身を細かく見ていくと、ところどころ違和感はあるものの、全体を通してみると大体これぐらいはかかるという内容になっている。

例えば、家賃などはかなり低く設定されている。家族4人で40平米台で生活するのはやや困難だろう。一方で、家具などの耐用年数はかなり少な目にしているし、食費も一食300円程度の設定は節約をしている家庭ではやや高いだろう。

ただ、全体としては、贅沢をほとんどしていない世帯の「普通」の生活費を表現しており、ひとつのベンチマークとしては十分なものとなっている。

東京での子育ては難しい

この試算結果を見ると、東京での子育ては非常に困難を伴うことがわかる。

例えば、東京では少なくとも中学受験は平均的の範囲内にあるし、飲み会台が30代で3000円台というのは平均よりも低いとも思える。つつましい生活をしていても、40代で740万円の年収が必要なのだ。

東京で「普通」の暮らしをしようと思ったら、大企業に勤めて、世帯年収を1000万円以上にするか、昔からの農家で土地を持っている家庭に生まれるしかないのだ。ちなみに、東京の平均世帯年収は600万4000円(平成26年全国消費実態調査)。

まとめ

東京で「普通」の暮らしをするためには、普通の年収では難しく、普通の家庭環境で育った人では、普通を再現することはできない。

東京以外に暮らすことが求めらるし、もしくは、「普通」である結婚や子育てをあきらめる必要がある。東京以外でも、東京近郊であれば、似たような生活費となるだろうし、東京に勤務していた場合は、通勤時間を使うことになり、普通の暮らしはままならない。

さてさて、なにかをあきらめる必要があるのだが、何をあきらめれば良いかはひとそれぞれでしょう。

ではでは


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大学は就職予備校であるべきか

どうもさくです。

少し古い話ではありますが、昨年の7月23日放送のテレビ東京「カンブリア宮殿」に出演した永守会長が話題になりました。

永守会長の意見として、「経営学部を出ても経営のことを全然知らず、税金のこともわからない」「名刺の渡し方もわからない」などと発言し、ツイッター上で批判的な意見が盛り上がりました。

そんなさくも、大学卒業時で名刺の渡し方も、電話の取り方も、そもそも、きちんとした社会人的振る舞い(遅刻なく毎日出社するなど)すらできていませんでした。その意味で、永守会長の意見は耳が痛いかぎりです。

大学はなんのためにある

ここで、永守会長への批判的な意見として、大学は就職予備校ではないというものがあげられると思います。

そもそも、大学の存在理由とはなんでしょうか。
それは、大きく分けて2つあると考えられます。一つ目は、先端研究。二つ目は高度教育。

この二つの役割があるから、大学法人は存在する意義があると言えるでしょう。そして、この二つ目の高度教育の点について、永守会長は大学に対して意見があると考えられます。

大学はきちんと高度教育が行えていないではないかと。


大学ってどうしたら卒業できるのか

大学は、先端研究を行う研究機関としての役割を持っています。

ですので、修士になると研究をして学術論文を書くトレーニングが施されます。そして、その成果として修士論文を書きあげます。博士課程では、学術論文を発表し、何本かの論文が認められりると博士という学位を得ます。大学院教育は、日本の大学ならある程度その教育的な意味合いは共通なのではないでしょうか。

しかし、学士とはなんなのでしょうか。

それは、大学で一定の単位を取得したものが得られる学位なのです。つまり、大学が教えたことを習得できていれば学位を得られるという仕組みになっているのです。

要するに、何を学ぶかはあまり関係なく、単位を取得すれば大学は出られることになります。

大学と企業や学生で意識にギャップがある

さくが、大学生だったころ、一般教養として、哲学やら西洋史やらを単位として取得した記憶があります。しかし、こうした勉強は、単位取得のために仕方なくとったもので、人生に役に立ったことはありません。本来ならば役に立った内容なのかもしれませんが、内容を一切覚えていないのです。また、専門分野についても、多くの単位を取ったのですが、その中身は全く覚えていません。

さくの偏見ですが、大学は、学部生に修士課程に進むような勉強の準備段階を教えているような気がします。つまり、大学側からすると、研究者である教授や助教授などになるために大学院があり、学部生はその大学院に入るための準備をしているかのような教育課程だったように思います。

しかし、大多数の大学院に進まない大学生や、それを受け入れる企業側としては、そんなすぐには役に立たない学術的な知識よりも、学生の生産性や社会性を高めるような教育を行ってほしいと思うのではないでしょうか。

つまり、学問への連続としての前段階としての教養ではなく、実践的に今使える実学を求めているのではないかと。

ギャップが大きすぎて埋まらない

大学としては、当然、論文の数やインパクトでその質が測られます。そのため、多くの学生にもその準備を行ってほしいというインセンティブが働くのは当然です。

一方で、学生のほとんど、特に日本のように18歳前後から入学することが一般的である場合、こうした学術的トレーニングは何の役にもたちません。なぜならば、研究者にはならないからです。もしくは、入っている学部とは関係のある産業にすら就職しないでしょう。

つまり、大学側の言い分と学生・企業側の言い分が大きく隔たりがあるように思えます。

まとめ

さくは、研究という観点からも、教育という観点からも、大学の4年間という期間が長すぎると考えています。そして、多くの大学の学部では、研究という観点からも、教育という観点からも、存在理由が薄いような気がしています。つまり、なんのために存在しているかわからない大学が多すぎるように感じます。

むしろ、代替的に職業訓練となるような教育機関があれば、そして、そこに格差がないのであれば、そちらの方が望ましいような気がします。

数ヶ月前、NHKで、コロナ禍に大学生が困窮しているとの番組を見ました。そして、その中で、休学をして就職をするという選択をした学生が紹介されていました。

さくとしては、これこそが、正しい選択なのだと思いました。そもそも、大学とは困窮してまで、「今」通うべき価値のあるものでもないと思います。そして、必要になれば社会人になってから通いなおすことができる場所でもあります。このような、価値ある選択できる若者を見て、自分の学生の頃、理由なく大学に行っていたこと反省する気持ちになりました。

大学は聖域ではなく、ただのサービス業です。コロナ禍で、通う価値がないのであれば、もしくは、働く価値の方が高いのであれば選択的に行動を変えるべきです。(というか、リモート授業なのに授業料返還しない大学ってなんなんでしょう。)そして、そのように、選択的な行動が増えれば、付加価値を提供できない大学(企業や学生が望まないサービスを提供し続ける大学)は、なくなっていくのではないでしょうか。

そんな風に思いました。

ではでは。


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