どうもさくです。

さくは、セミリタイアを決断して3年、実行して2年程度になります。そうした生活の中で気付いたことは、セミリタイアというのは、自分の可能性をゼロにすることで新しい自分と向き合う精神的な作業なのだということです。

セミリタイアを決断するということは、単に仕事を辞めるだけではないのです。今まで、築いてきたキャリアをリセットする、つまり、捨てるということなのです。なにを捨てるかというと、可能性を捨てるということなのだと、リタイア後に気づきました。

すべての人に可能性はある、のが問題なのだ

さくは、子供の頃、無邪気にも、将来大人になれば何者にもなれるのではないかと思っていました。なんとなく、なにを努力するわけでもなく、そんな夢想をしている時間が長かったかもしれません。確かに、子供の頃であれば可能性は無限大。夢を追い求めていれば何かになれる可能性はあったかもしれません。

しかし、大人になるとそんな可能性はどんどん少なくなっていきます。そして、人生にあきらめがついていき、穏やかな人生が送れるようになるかというと、全然そうでもないことに、大人になると気づきます。大人になっても、可能性はゼロではないのです。

本屋に行くと、たくさんの成功物語にあふれています。その中には、中年以降に成功を手に入れた人の話も出てきます。確かに、理屈上、うだつの上がらない中年サラリーマンが、一発逆転、人生を成功させることは、確率ゼロではありません。

これが問題なのです。

可能性があることが、行動を歪める

40歳になって、うだつの上がらないサラリーマンが、一発逆転、出世をして社長になる可能性はゼロではありません。中年アイドルやお笑いタレントがブレイクする可能性もゼロではありません。宝くじに当たる可能性もゼロではありません。

しかし、この可能性が人を苦しめるのです。

こうした、一発逆転した利益 × 逆転の確率 = 逆転の期待値よりも一発逆転への参加費用は、高いことが一般的です。つまり、得するのは掛けの胴元なのです。基本的には、こうした掛けは分が悪いのが普通です。

出世競争に参加し続けて頑張り続ける中年サラリーマンを働かして得をするのは、今の経営陣です。売れないアイドルやタレントがいるから、今売れているアイドルやタレントが光り輝きます。宝くじは、貧乏人への税金のようなものです。売り上げの半分は胴元(政府や売ってる青い銀行)に取り上げられ、宝くじを買うのは人のほとんどはより貧乏になります。

可能性地獄から抜け出す方法

可能性というのは、夢などと呼ばれて生きる活力になります。こうした活力が人生に彩りを与えて、豊な心を作り出すという側面は、さくは否定しません。しかし、こうした幻想は、一種の麻薬でもあります。自己啓発本を読んで、才能を開花した人よりも、自己啓発本の作者が儲かるのは当たり前かもしれません。

夢はあくまでも夢です。セミリタイアはこうした、何かになれるかもしれないという可能性を自ら断ち切る生き方です。究極の断捨離とも言えるでしょう。セミリタイアしてしまえば、少なくともキャリア的な可能性はゼロになります。

僕たちは、子供の頃から麻薬を摂取しすぎていたのかもしれません。麻薬なら、病院でセラピーを受けて、麻薬断ちをしなければなりません。一定期間、こうした快楽を避ける必要があるのです。しかし、こうした快楽を断ち切るのは、非常な苦痛です。

セミリタイアは、自らこうした快楽を断ち切る作業です。

まとめ

セミリタイアは、夢とか可能性とか自己啓発といった快楽を断捨離する作業です。僕たちは子供のころからこうしたものに接しすぎていて、中毒症状で体がむしばまれているかもしれません。

一度、こうした中毒から逃れるためにセミリタイアを選択してみてはいかがでしょうか。そうしたら、新しい自分と出会えるかもしれません。少なくとも、楽にはなると思います。

ではでは


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