どうもさくです。

若者の貧困問題(ワーキングプア)の問題や、年齢格差(年寄の方が有利な社会制度)の問題が取り上げられて久しい。こうした問題は、老人が弱者であるという過去の考えから、もしくは、選挙での集票率が高い高齢者に向けた政策が採用されることが理由で、規制当局者が作り出した問題だという論調が一般的なのではないでしょうか。

実のところ、さくもそのように考えていました。年金は、今の若者は今の高齢者よりももらえないだろうし、将来の税負担は上昇することが決定的です。こうした状況を今の権力者(高齢者)が改革するインセンティブはなく、若者にとって不利な状況が永続的に続く構造になっているように思います。

本来ならば若者有利なはず

しかし、本来、能力という面では、若者が有利なはずです。というのも、新しい知識を吸収する能力や、単純に体力、リスクテイクする力など、絶対的に若者の方が高いです。実際、さくが金融機関で働いていた時も、若い人に優秀なひとは多かった一方、年配の人は残念ながらそうではないという傾向がありました。

にも、かかわらず、若い人が不利な状況が続いています。これは、年功序列制度や社会保障制度、政府の政策(将来を担う子供よりも、老人を優遇しがちな制度設計)などが問題だと言われています。

だから、もっと自由な競争をすべきで、政府は社会構造を公平な競争環境になるよう介入すべきだということになるでしょうか?

自由な競争は、構造的摩擦を逆に作り出す

一見すると、新自由主義的な開かれた競争市場という環境は、規制を撤廃し、より生産性が上昇し、生産性の高い若者に有利な世界が作られると考えられがちです。そして、さくもそう考えていました。

しかし、デヴィッド・グレーバー「官僚制のユートピア - テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則」と出会ってから、考え方を少し変えなければならないと思うようになりました。

というのも、デヴィッド・グレーバーが主張するように、自由主義は官僚制や規制を逆説的に生んでしまうという主張を否定しえないからです。

確かに、1980年代以降、世界の西側経済圏は新自由主義的な潮流が起こり、日本でも構造改革の風が吹き込んできました。こうした動きは、官から民へという流れとなり、多くのセクターで競争環境が整備されていくことになりました。

しかし、氏が主張するように、こうした西側諸国の生産性が上昇したという事実はありません。むしろ、多くの企業で間接部門の肥大化という官僚主義の民営化とも言える状況が起きてしまっているのです。つまり、市場経済の浸透により説明責任が重視されるようになったために、多くの仕事が間接部門に割かれるようになってしまい、本来必要なエッセンシャルワーカー自体は安い給料のまま放置されているのです。

例えば、実際にESG的な活動をしているNPO法人や公共部門の人たちの給料は低いのに、ESGを計画したり広報したりする人の給料は高いのです。製造業で言えば、生産部門より会計部門の方が給料が高くなりがちという逆転現象が起きてしまっています。

自由な競争だけでは、格差は解消できない

自由な競争という言葉は魅力的で、競争が生産性を高め、人々の生活を豊かにすると思われていました。そして、さくも、そう思っていたし、ある程度今も思っています。

しかし、自由市場だけでは、構造的な不合理性というのは無くならない、むしろ、作られていくということがデヴィッド・グレーバー氏によって主張されています。これは、日本でも小泉改革以降の10数年を経験している日本でも言えることだと思います。

年配者有利な状況というのは「国がつくりあげた制度」というのは、一見正しそうな意見ではありますが、自由競争であったとしてもそれは変わらないのではというのが、さくの意見です。例えば、自由度の高い米国や英国でも、自由度の低い欧州でも、若者の貧困化は問題化されています。

むしろ、政府による格差是正のための介入度が少ないから、若者が不利な状況になっているのではないでしょうか。

つまり、そもそも、年配の人は先行者有利な状況がどんな社会にもあるので(年を取った人は、若い人よりも情報や権力にアクセスしやすい)、こうした状況を守ろうと年配者が思いがちであるということが問題なのではないでしょうか。そして、むしろ自由であればあるほど、先行者は自分に有利なルールを作ろうとするので、こうした状況は加速してしまうというのが、今のさくの仮説です。

まとめ

若者が不利な状況というのは、為政者が高齢者であり、国の制度設計が老人有利になっているからだと言われていました。自由な競争になれば、能力が高い若者が有利なはずである。

しかし、デヴィッド・グレーバー氏が言うように、自由な競争は逆説的にルールを民営化してしまい、自主的な規制が増えてしまうことにつながります。

こうした状況に変化を与えられるのは、逆説的に国家の介入しかないのではないか、と、さくは思っています。

ではでは


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