どうもさくです。

さくは、今現在結構、楽しく生きています。妻と子供と首都圏で生活してます。

でも、今ある自分の生活って、運が良かったんだなって思うことも多々あります。

見えない格差っていっぱいありますよね

さくは、地方都市の郊外(の端っこの方)出身です。田舎ではあるけれども、ド田舎ではありません。水道はあるけど、下水道はない。ガスはプロパンガス。周りは畑があるけど、専業農家はいない。こんな感じの田舎さ。結構大きな地方都市まで、バスと電車で40分程度。

この程度の田舎でも、80年代生まれのさくの小学校の同級生は大学進学率が半分程度でした。特に、女子は短大や専門学校が多く、東京の大学に行くような子はほとんどいませんでした。

さく自身、関西の大学に通ったのですが、両親とも高校卒です。まず、親の学歴を超えられるのはラッキーで、大学進学率が高まったのは1990年代以降なので、1980年代に生まれることは、一つの幸運だったとも言えるかもしれません。しかも、両親とも高卒なのですが、両親の兄弟は中卒という学歴で、この違いがさくの人生にも結果的に大きな差となったと思います。

田舎に住んでいると、情報格差も大きく、周りに大卒の大人がいない環境で育っているので、そもそもどんな大学があるのか、どんな学部があるのか、どんな企業があるのか、全く知らずに高校を卒業しています。

さらに、運が良かったのは、就職氷河期の終わり頃に大学を卒業できたこと。いわゆる団塊ジュニア世代ではないので、さくは本当の就職氷河期を経験していません。わずか数年の違いで、就職氷河期世代に就職していた場合、さくのように東京の金融機関で働くことは無かったと思います。

しかも、就職活動でもいくつかの幸運に恵まれました。一つは、関西の大学だったこと。就職して採用活動をしてから分かったことですが、就職に関して大学の立地はものすごく重要です。基本的に、東京本社の会社は、採用活動を東京でしか行いません。大きな企業だと大阪でも行いますが、名古屋や福岡の大学生はほとんどの企業の採用活動に参加することが、物理的にできない状況でした。関西は、東京に比べてハンディキャップを負っていたものの、参加すること自体はできていました。さくも、夜行バスとカプセルホテル、マンガ喫茶を駆使して、東京の会社の面接に何度も行きました。

二つ目は、やりたいことが無かったことが逆に幸運に作用しました。このため、名前を聞いたことがあるような企業なら手当たり次第エントリーしたことで、偶然、東京の金融機関に勤務することになりました。東京の金融機関が素晴らしいとは言いませんが、やや給料が高めであることや、お金や経済、社会の知識を得られたことが、のちのセミリタイア生活に活かされることになりました。

まとめ

学歴や就職先が、人生の幸せを決定するものでもなければ、その人の人格を決定するものでもないことはわかっています。むしろ、大学は高校までと違い、画一的なキャラクターの生徒が多かったですし、
就職先の金融機関の同僚たちは、一般社会的にはやや難ありな人が多かった印象すらあります。

しかし、経済的な面や、社会的な知識という面だけを考えると、地方都市近郊の片田舎の少年が歩んだ人生としては、上出来、むしろ想像すらできない人生になったと思っています。

こうした人生の岐路となった選択は(進学や就職)、その時々で悩んで選択(最終的には直感に従って)したものばかりなのですが、意図したような結果とは全然違う方向に進んで、でも結果論良いほうに転がったと思っています。

ですので、さくは、あまり計画的に人生を考えるようなことはしません。むしろ、直感的に合う選択をして、なんとか楽しく過ごしています。

そんな感じで。

ではでは。


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