セミリタイアについて

シンプルライフの基本は楽しいこと

どうもさくです。

さくは、シンプルライフを目指しています。そして、シンプルライフの基本戦略とは、その1、重要なことを定義する その2 それ以外を捨てる です。

今回は、楽しいということについて、考えていこうと思います。

楽しいは重要

シンプルライフの基本戦略として、重要なことを定義しなければなりません。しかし、この重要なことというのは、人それぞれの定義があるので、一般化することは難しいです。ただ、今回は、敢えて一般論として、楽しいを重視すべしだと言いたいです。

なぜ、楽しいを重視すべきなのでしょうか。

それは、楽しくないと人は死んでしまうこともあるほどの、重要な要素だからです。

例えば、お金持ちにならなくても、東大に入れなくても、社長じゃなくても、甲子園に行けなくても人はそうそう死にません。しかし、楽しくないと、結構人は死にます。

つまり、楽しいというのは、お金とか学歴とか出世とか、個人的な目標や夢よりも重要な要素なのではないでしょうか。一方で、健康じゃなければ、人は結構しにます。ということは、健康の方が楽しいより重要な要素となるかもしれません。

こうした一般化は、時として反論に会うこともありますが、ただ、夢とか目標とかお金とかよりも、楽しいことの方が人生に決定的な影響を与える可能性があるというのは考える必要があるのではないでしょうか。

現代社会は重要な要素を軽視しすぎている

現実の社会は、それとは別に、お金とか出世とか夢とかを重視しすぎています。

夢がかなう方法と書かれた自己啓発本や、経済的自由をめざすビジネス本は巷にたくさんあります。そして、多くの人が、夢のためやお金のために多くを犠牲にして生活をしています。

しかし、楽しくいきるために夢を犠牲にしたという成功物語や、高校生活を謳歌したいから東大をあきらめたという成功物語はあまり聞きません。しかし、物事の重要度からすると、これらは成功物語なのですが。

本来であれば、高校生活を謳歌するために、学歴をあきらめて楽しい毎日を送ることは、人生的な成功物語です。そして、こうした生き方は重要な物事をしっかりと分かっているシンプリストの生き方です。

むしろ、努力して苦労して東大に入った人は物事の優先順位が理解できていないのではないでしょうか。無駄な時間を使いすぎです。

東大だと極端な例ですが、例えば、出世のために同僚を陥れたりする行動をする人は、人生が楽しいか聞いてみたくなります。会社の利益のために、身を粉にして働く人には、それが楽しいか問いかけてみたいです。

こうして考えると、楽しいかどうかというのは、人生の選択の基準(クライテリア)の一つとして、もっと重視されても良いのではないかと思います。それって楽しいの?という問いかけは、人がより良く生きる上で重要な視点かもしれません。

まとめ

シンプルに生きるためには、物事の優先度を明確にする必要があります。

さくは、楽しいかどうかという基準が、人生でもっと重視されるべきだと思います。なぜならば、人は楽しくないと、時として死んでしまうほど重要な問題だから。そんなことを考えてみました。いかがでしょうか。

ではでは。


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それって運だよねって思う

どうもさくです。

さくは、今現在結構、楽しく生きています。妻と子供と首都圏で生活してます。

でも、今ある自分の生活って、運が良かったんだなって思うことも多々あります。

見えない格差っていっぱいありますよね

さくは、地方都市の郊外(の端っこの方)出身です。田舎ではあるけれども、ド田舎ではありません。水道はあるけど、下水道はない。ガスはプロパンガス。周りは畑があるけど、専業農家はいない。こんな感じの田舎さ。結構大きな地方都市まで、バスと電車で40分程度。

この程度の田舎でも、80年代生まれのさくの小学校の同級生は大学進学率が半分程度でした。特に、女子は短大や専門学校が多く、東京の大学に行くような子はほとんどいませんでした。

さく自身、関西の大学に通ったのですが、両親とも高校卒です。まず、親の学歴を超えられるのはラッキーで、大学進学率が高まったのは1990年代以降なので、1980年代に生まれることは、一つの幸運だったとも言えるかもしれません。しかも、両親とも高卒なのですが、両親の兄弟は中卒という学歴で、この違いがさくの人生にも結果的に大きな差となったと思います。

田舎に住んでいると、情報格差も大きく、周りに大卒の大人がいない環境で育っているので、そもそもどんな大学があるのか、どんな学部があるのか、どんな企業があるのか、全く知らずに高校を卒業しています。

さらに、運が良かったのは、就職氷河期の終わり頃に大学を卒業できたこと。いわゆる団塊ジュニア世代ではないので、さくは本当の就職氷河期を経験していません。わずか数年の違いで、就職氷河期世代に就職していた場合、さくのように東京の金融機関で働くことは無かったと思います。

しかも、就職活動でもいくつかの幸運に恵まれました。一つは、関西の大学だったこと。就職して採用活動をしてから分かったことですが、就職に関して大学の立地はものすごく重要です。基本的に、東京本社の会社は、採用活動を東京でしか行いません。大きな企業だと大阪でも行いますが、名古屋や福岡の大学生はほとんどの企業の採用活動に参加することが、物理的にできない状況でした。関西は、東京に比べてハンディキャップを負っていたものの、参加すること自体はできていました。さくも、夜行バスとカプセルホテル、マンガ喫茶を駆使して、東京の会社の面接に何度も行きました。

二つ目は、やりたいことが無かったことが逆に幸運に作用しました。このため、名前を聞いたことがあるような企業なら手当たり次第エントリーしたことで、偶然、東京の金融機関に勤務することになりました。東京の金融機関が素晴らしいとは言いませんが、やや給料が高めであることや、お金や経済、社会の知識を得られたことが、のちのセミリタイア生活に活かされることになりました。

まとめ

学歴や就職先が、人生の幸せを決定するものでもなければ、その人の人格を決定するものでもないことはわかっています。むしろ、大学は高校までと違い、画一的なキャラクターの生徒が多かったですし、
就職先の金融機関の同僚たちは、一般社会的にはやや難ありな人が多かった印象すらあります。

しかし、経済的な面や、社会的な知識という面だけを考えると、地方都市近郊の片田舎の少年が歩んだ人生としては、上出来、むしろ想像すらできない人生になったと思っています。

こうした人生の岐路となった選択は(進学や就職)、その時々で悩んで選択(最終的には直感に従って)したものばかりなのですが、意図したような結果とは全然違う方向に進んで、でも結果論良いほうに転がったと思っています。

ですので、さくは、あまり計画的に人生を考えるようなことはしません。むしろ、直感的に合う選択をして、なんとか楽しく過ごしています。

そんな感じで。

ではでは。


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セミリタイアは片道切符

どうもさくです。

以前書かせていただいた通りですが、セミリタイアというのは、ある意味において片道切符の選択です。戻ることができない選択と言ってもよいでしょう。

いくら人生はいつからでもやり直せると言っても、サラリーマンや公務員の場合、キャリア選択という意味では、以前の立場に戻ることはできません。数年間もブランクがあるので、元の会社に戻れないのは当然ですし、元の仕事自身を選択することも、ほとんどの場合無理でしょう。




元には戻れない

しかし、逆に、セミリタイアの良いところは、元に戻れないところとも言えます。もとに戻れないということは、前に進むしかないということだからです。

多くの人が、老害になったり、使えないおっさんになったりするのは、過去のやり方や技術、人脈に頼った仕事しかできないからです。そして、なぜか地位だけは高くなってしまうからです。このため、ごまかしごまかし仕事をすれば、立場上の優位性からなんとかなってしまうのが、おっさんなのです。

しかし、セミリタイアは、以前、勝ち取ったスキルや技術、積み上げた人脈などは一度強制的にリセットしてしまいます。もう、仕事関係で築いた人脈に会うことはありません。部下に何かを命ずることもできません。家庭や一般社会の人間関係は、仕事上の縦割りな人間関係とは全く異なります。

新しい生き方を選択するためには、今の生き方を捨てなければならない

両手に何かを持っていると、次に新しいものを持つことができません。持っていないということは武器になります。これは、年をとると本当によくわかります。自分自身、金融機関に勤め続けていたら、知ることができないことや、経験できないことが、セミリタイアをすることでたくさん得られました。

中国やインドは、道路や鉄道などのインフラが弱かったので、逆にITやネットを取り入れることができました。持たないことは、それだけでチャンスなのです。

最近では、週末起業や副業など、片足を残したままチャレンジをする制度が整ってきました。さくは、こうした動きは素晴らしいと思います。ただ、リスクを最小化して新しいことにチャレンジすることは良いですが、片足でのチャレンジは新しいことの発見にはつながりにくいというのが体感です。むしろ、ただただ2倍働いているだけのようにも感じます。

セミリタイアとは、半分リタイアすること

セミリタイアとは、Semi(半分)リタイアすることです。

半分、リタイアとは、すこしだけ働きながらリタイアすることと理解されています。ですがさくは、これを好意的に勝手解釈しています。半分リタイアするとは、残りの半分のリタイアは、違う形で違う時期にリタイアすると。

つまり、もう一回チャレンジをして、もう半分のリタイアを回収するつもりです。

とは言っても、それはたぶん仕事というものではないと思いますが。

まとめ

セミリタイアとは、片道切符です。少なくともキャリアという面では元に戻ることはありません。しかし、それは悲しいことではありません。というのも、サラリーマンや公務員なども、大なり小なり片道切符なのだから。サラリーマン生活も、その時期その時期で元に戻ることはできません。その時、経験することができなかったことは、やり直して経験しなおすことはできません。

人生は選択によってできているのではないかと思います。さくは、サラリーマンという選択を手放して、セミリタイアという選択をしました。そして、そのあとにどんな選択ができるのかが楽しみです。

そんな感じで。

ではでは。



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失敗することの価値

どうもさくです。

今日は、失敗の効用について書いていこうと思います。

さくは、基本的に子供のころから、何かで成功したことがありません。中学生以降は、何かで一位を取ったことすらありません。成功とは無縁な生活と言ってもいいでしょう。

学生のころは、親からもらった才能、遺伝、財力、生活習慣などが如実に表れます。子供のころ賢かった子は、その後良い大学に通ったし、そうでない子は地元に残る生活をしています。

失敗に価値はあるか

大人になると、多くの人が成功できない自分に気づくのではないでしょうか?

例えば、プロ野球。プロ野球にドラフトにかかるのは、毎年100人にも満たないです。(最近こそ育成枠で増えてきたけれども。)支配下選手として登録されるのは、全体でも800人程度。(外国人選手も含む)このうち、一軍に登録できるのは350人前後。

毎年、何万人という高校野球・大学野球の頂点ともいえる100人に選ばれても、プロとして活躍できるのはさらに少なくほんの一握りしかいません。

つまり、残り何万人は、失敗を必ず経験していくものなのです。

こうした世界は、プロ野球ほど厳しくなくてもほとんどの世界で成り立ちます。教授になれるのは、博士課程まで行ってもその中から何割という世界です。サラリーマンだって、一流企業に入っても役員になれるのは数パーセントでしょう。それに一流企業に入るには、一流大学を卒業した何割かしか入社すらできません。

つまり、基本的に大人の世界は、何等かの敗者、失敗者の集団で成り立ってると言えるのです。

失敗にも意味がある

さくは、大人の失敗にもある程度意味があると思います。

これは、ポジティブシンキングなお話がしたいわけではなく、(つまり、失敗も神様からのメッセージ的なスピリチュアルな話ではなく)普通に向いていないということを教えてくれる良い体験なのではないかということです。

大人の世界では、子供の世界と同様に、自分の努力ではどうにでもならないことばかりの競争環境にあります。基本的に外部環境や才能といった不確定要素に振り回されることが多くあります。例えば、出世については運の要素が非常に大きいことは、体感的にサラリーマンはよくわかっていると思います。しかし、大人と子供で大きく違う点は、外部環境を変える力がある点です。

大人とは逃げる力があること

子供のころは、学校で出された嫌いな給食を残さず食べなければなりませんでした。いやな宿題もやって出しました。

しかし、大人は自分の責任の元に、選択することができます。つまり、失敗することから逃げることができるのです。これは、挑戦から逃げるという意味にもなりますが、逆を言えば、失敗を避けることにもつながるとも言えます。

大人になると、挑戦は義務ではありません。逆に、失敗の責任は自分の責任です。(挑戦しない責任も自分の責任です。)逃げるのは大人の最大の能力。助けを求めるのも最大の特権。これが、大人の責任なのです。

失敗するのが当たり前

こうして見ると、大人になるということは、ほぼすべてにおいて失敗するという経験に繋がることが分かります。失敗するということが当たり前だと思うと、今現在、成功している人への見方も変わりますし、自分の置かれている環境への見方も変わります。

うまくいかないことは、当たり前。そして、そうした失敗は、自分がむいていないこと能力がないことをしていることを教えてくれています。

それを継続するのも、逃げるのも本人次第。

こんな風に考えると、失敗するというのもなんだか楽しくなってくるような気がしませんか?

というわけで、今回は失敗についてでした。

ではでは。


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セミリタイアをして、残念に思うこと

どうもさくです。

セミリタイアをして少し残念に思うこと

セミリタイアをして、少し残念に思うことがあります。それは、「手加減なしにやり通す感覚」が無いところです。さくの前の仕事は、非常に厳しいグローバルな競争にさらされている職場でした。もちろん、規制産業であったので、有象無象のライバルがいたというわけではないのですが、基本的に参入者が内外の大手金融機関ばかりで、コスト面、製品面でしのぎを削っていました。

こうした環境で、コンペに出たり、製品企画を立案する場合に、手加減をするという感覚は一切なく、いかに勝ち取るか、いかに認めてもらうか、いかに目立つか、他社と違う点をアピールできるかという観点から仕事をしていました。

こうした、非常に厳しい環境は、時としてストレスフルである一方で、やりがいもある状況でした。

競争ではなく協調

セミリタイアをするとこうした環境は一変します。一般社会や子育ての場、家庭内で、ここまで仁義なき競争環境に身を置くということはなく、むしろ、協力関係、お互い様が当たり前の協調社会に身を置くことになります。もちろん主夫業も協力関係が重要で、何かの利益という数字を追い求めるものではなく、ただただ家族のために、仕事をするというのが当たり前の世界です。

こうした環境は、もちろん妥協なく仕事をこなすこともできるのですが、あの痺れるような感覚には自分を追い込むことはできません。さくは、戻りたいとは全く思いませんが、少し寂しく思うのも事実です。

現実、こうしたビジネスの第一線から離れてもう2年以上たっており、再度、同じ舞台に立つことはないでしょう。だからこそ、今現役で仕事をしてらっしゃる方には、悔いなく良い仕事をしてほしいと思います。遅かれ早かれ、すべての人は仕事から必ず引退します。そして、多くの人は片道切符の選択肢となるでしょう。

主夫業ももちろんやりがいはあります。ただ、それは性質の違うものだということは、これからリタイアする人に理解していただきたいと思います。悲しいとか寂しいとか嘆くのではなく、違うステージに来たのだと、次の何かを手に入れたいなと最近強く思うようになってきました。

そんなわけで、セミリタイアは片道切符の選択肢なので、今現役の人には後悔することなく、楽しんでほしいなと思います。でも、片道切符と言っても、元に戻ることはないという意味です。さらに進んで行ければそれで良いのだから。

ではでは



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