どうもさくです。

大阪大学の牟田和恵教授が疑問提起をしている、白雪姫問題が話題になっている。

曰く、毒リンゴを食べて眠ってしまった白雪姫をキスで起こす王子はセクハラなのではないか、という問題提起。

牟田教授の意図がどこにあるのか正確にはわかりませんが、フェミニズムの観点からこうした童話などにも、知らず知らずのうちに女性差別の意識が植え付けられているということが言いたいのではないかと思います。

こうした表現についての難しいところ

さくは、白雪姫がセクハラかどうかを論ずるつもりはないです。仮に、東京の電車で同じことをした場合、セクハラというか犯罪になることは理解しています。それが、童話からも排除すべきかどうかは判断の分かれるところでしょう。

一方で、難しいと考えてしまうのは、少女漫画の壁ドンやいわゆるわがまま王子様キャラは、フェミニズム的にはどうなのか知りたいところです。

シンプルに、男女平等を貫くという意味では、こうした表現は、男性の性暴力を容認するような表現であり許容できないということになるでしょう。

一方で、性の自己決定の立場をとる場合、女性漫画家が書き、女性読者が喜ぶような表現は受容すべきであるという立場にもなるでしょう。

どちらになるのでしょうか。

フェミニストの立ち位置

多くのフェミニストたちの意見を見聞きすると、難しいところを感じる。

それは、フェミニストの目指すべき終着点がどこかというところにある。

一つは、機会平等。もう一つは、結果平等。そして、最後が女性優遇。にあるように思う。

機会平等とは、そもそも、教育を受ける機会や雇用の機会、育児、家事の分担の公平性を男女で同じにすること。そして、多くの男性が、ここをフェミニストが目指す男女平等だと勘違いしているように思う。

しかし、多くのフェミニストは、結果平等や女性優遇を目指しているのではないかと思う。

その論理は、同じ権利を有している以上、結果が平等であるべきだという意見。これは、フランスなどで見られる考え方で、議員候補の男女比などを定めたクオータ制などに見られる。特に、市議会議員の男女比や民間企業の取締役の男女比など厳しい制限がみられるのがフランスという国だ。

最後が、女性はそもそも弱い立場にあるから、優遇すべきだという論点もある。この場合、どこがゴールというのは難しいけれども、とにかく今よりももっと女性優遇すべきだという論調になりやすい考え方だ。

おそらく日本も結果平等が求められるようになる。

日本のジェンダーギャップ指数は、121位である。これは153か国中。もちろん、G7で断トツの最下位であり、日本が男女差別の国であるという事実は受け止めなければならない。

国際社会から見たときに、日本人男性は平均的に差別主義者であるということは、否定することができない。

とすると、未来を予測することは逆に簡単になる。日本は、少なくとも今よりも男女平等になる。そして、そのゴールは少なくとも機会平等は満たされる。それどころか、結果平等も今後10年で急速に広がっていき、格差が縮小する方向に動くだろう。

まとめ

どうも日本では、男女平等のスタンスが世界と離れているように思います。それが、良いかどうか、望ましいかどうかは、さくとしては興味の範囲外です。しかし、世界の潮流である男女間の結果平等につなげようとする圧力はかかり続けるだろう。

この時、議員の半分は女性になるし、会社役員の半分は女性になる。給与所得も、男女でほぼ同じになるであろう。(今も同じ役職ならば近い給与水準だとか思った方は、機会平等と結果平等の違いを理解していないかもしれない。)

10年では日本は変わらないと思うかもしれない。しかし、全体的な方向性はもう決まってしまっています。これからは、弱い男性は生き残れない時代になっていきます。

フェミニストが、その他のマイノリティについてあまり言及しないのは、当事者が権利を主張することが重要だと考えているからだと聞いたことがある。つまり、正義としての平等を目指しているのではなく、それぞれ権利を主張すべき人が、それぞれの権利を主張することが、良い社会を作るというような意味合いなのだろう。この場合、これからの世界の流れからすると、弱い男性は守られない存在になってしまう。

これからは、弱い男性の持つ本来の権利を主張していかなければならない時代になったのだと思います。

ではでは。